手作りの天体望遠鏡で宇宙に思いを馳せた夏休み

2020年8月22日。今年も「天体望遠鏡と星空観察の集い」を開催しました。
コロナ禍中の5月に迷いながらも開催を決断して以来、ずっと不安を抱えながらもようやくこぎつけたこの日。
そんなモヤモヤを一瞬で吹き飛ばした、参加者やサポータたちのエネルギーに今、驚きと感謝でいっぱいです。

廃校の天体望遠鏡復活のために

廃校に残された天体望遠鏡

この集いのきっかけになった「廃校の天体望遠鏡復活プロジェクト」は、今回会場にした小学校と同じ地区の旧中学校に残された大型の天体望遠鏡を直して、誰でも見られるようにしようという想いで去年立ち上げました。
わたしは小学二年生から星を見ているのですが、子供の頃どんなにせがんでも親に望遠鏡を買ってもらえませんでした。
やはり買えば高価なもので、誰にでも手に入るわけではないのです。
それでも学校のものなら、わたしのような子供でも見るチャンスがありますが、いまつくばに残っている望遠鏡はこれが最後だそうです。
これからは子供に限らず好きな人なら誰でも自分で星が見られる、そして誰にでも豊かな心で生きるチャンスがあるー
こうした経済成長では言い表せない「社会の豊かさ」を育みたいと思いました。

「わざわざ材料から望遠鏡を作って星を見る」というのは、ある意味不便この上ないことです。
しかしこの不便を敢えて体験する中に、「人の限界を感じながらも自然の原理と向き合う」ことの面白さや、「家族が星を見たいという一つの目標に向き合う」ことの素晴らしさをぜひ感じ取っていただきたい。
集いの冒頭、そんなことを語ってこの写真を紹介しました。

ものづくりに没頭するとき

作業に没頭するとき

「今回は部品点数36個、40工程を二時間半で作ります。」
材料が入った箱を開けたとき、「そんなの、無理~」と不安になった人もいます。

そんなことにはお構いなく、本格的な加工は思い切りと集中力を要するもの。
生まれて初めて挑戦する子どもたちが一瞬、大人の表情になるのを見て、思わずドキッとしました。
こうやって自分の限界を優に超えていくのでしょうね。

終わってみると時間が余るほどのスピードで着々と作業が進み、全員が望遠鏡と雲台を完成しました。
「外面の塗装やデザインもやりたかったなー」と。
ここまでやれるとは、わたしもまさかと思いましたよ。

親子のこの夏の思い出

親子の時間

望遠鏡の組立作業が終わり、待ちきれずに窓の外を見ています。
最初にやった光学実験で2枚のレンズで試したことが、できているかな?

子どもの成長は早くて、親子が一緒にいられる時間は、あっという間に過ぎていきます。
短くてもかけがえのないこの夏休みに家族が一緒に取り組んだことを、きっといつか思い出してくれるかな。
子供たちは出来栄えを確認した望遠鏡を握りしめ、次々と校庭に飛び出していきました。

暮れていく夏の里山の風景

夕暮れの風景

夕暮れ間近の校庭から、宝篋山(ほうきょうさん)の頂上の鉄塔を捉えます。
ファインダーが正確に作れていたら、クロスポイントに入れた鉄塔が望遠鏡の視野に見えるはず。

雲が低く垂れこめてきて、時おり鉄塔を隠してしまいます。
「残念ながら、今日は晴れないな…」
そう思いながら次は自分で星が見られるように、納得いくまで取り組んでいました。

昨日の惑星と、宇宙の生命

宇宙に想いを馳せて

昨日サポータが撮影した木星と土星が、大きなスクリーン一杯に映し出されました。
大気に揺れながら宇宙に浮かぶ姿を見ていると、引き込まれてしまいます。
「晴れていても今日の月はすぐに沈んでしまうんだけど、来週はずっと見れます。」
「木星の縞模様やガリレオ衛星、土星に輪があることもわかるから、きっと見てね。」

星のお話は宇宙には生命の元がたくさんあること、でも生命に適した場所はそう多くはないこと、地球の環境はかけがえのないものであること、に及びました。
人類は長い間、科学技術を国家権力と経済成長のために使ってきました。
けれども本来は、誰もが人間らしく生きるためにあるのだと思います。
使い方を間違えた科学技術は、それを生み出した人類をも破滅に導くのですから。
コロナ禍中にあっても、そうか、やってよかったんだ、と思いました。

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