東京御茶ノ水の文化と”ものづくり”を訪ねる -神田川

前々回の神田明神前回の湯島聖堂に続く、最後は神田川です。
このまちでは暮らしや価値観の変化に合わせて、”もの”が何度も人の手を加えられ、現代に息づいています。

神田川の造成、そしてニコライ堂、学生街へ

神田川が流れる御茶ノ水の渓谷は、江戸時代初期に人力で作られた掘割です。
それ以前は対岸の大地は地続きで、平川が今の飯田橋辺りから日比谷に流れていました。
日比谷は湿地帯が広がる入江だったのです。
日比谷埋め立てによる江戸城周囲の市街化に始まり、
御茶ノ水では今もなおダイナミックな都市改造が繰り返されています。

神田川の風景は江戸時代の大都市改造の遺産

神田川の風景は江戸時代の大都市改造の遺産

大名屋敷が立ち並ぶ日比谷を水害から守るため、平川は隅田川に流路変更されました。
二代将軍徳川秀忠の命により、この事業を普請したのは仙台藩伊達政宗です。
藩の財政が傾くほどの難工事だったと伝えられています。
それでもこの規模の土木工事をやってのける、当時の人たちの情熱と技術に敬服します。

明治維新後の旗本屋敷跡地に教会、大学、病院などが集積

ニコライ堂の静かな土曜日

「ニコライ堂」は日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭、聖ニコライにちなむ通称です。
正式名称は「東京復活大聖堂」。
1891年(明治24年)に竣工した、日本初ビザンティン様式の正教会の大聖堂です。
周辺には大学や病院、飲食店、楽器店などが集積しています。
彼らは明治維新による旗本屋敷の取り壊しに伴う、新たな住人たちでした。

JR御茶ノ水駅大規模改造のための仮設桟橋

JR御茶ノ水駅大規模改造のための仮設桟橋

1日10万人が乗車するこのJR御茶ノ水駅舎は、乗り換えの利便性を考慮した機能的な造りです。
しかし台地と神田川に囲まれた狭い立地ため、バリアフリーの整備が課題でした。
その難工事が始まり、線路上空に巨大な仮設桟橋が設置されています。
工期は2012年から2023年まで。
また新たな景観が生まれそうです。

参考:
東京とりっぷ 一般社団法人プレスマンユニオン「北斎&広重 浮世絵に描かれた湯島聖堂・神田川」
東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)ホームページ
乗り物ニュース 「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化が前進 改札内エレベーター使用開始へ」
東日本旅客鉄道株式会社 プレスリリース「JR中央線御茶ノ水駅バリアフリー整備等の本体工事着手について」

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